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ピーター フレーザー先生 登場!!

フレーザー先生  “あっというまに過ぎた25年”

ピーター フレーザー

私と駿台甲府高等学校とのつながりは25年を超えています。最初に、非常勤講師として週に2回、英会話学校から派遣され、1年生に英会話を教えていました。これは文部科学省のJETプログラムが導入される前なので、どこの高校にも外国人教師はいませんでした。イギリス人がもう1人いたので40人のクラスを2つに分けて、充実した英会話授業ができました。当時、外国人に授業を任せてしまうことはかなり進歩的な学校方針だったと思います。
  その時代、駿台は男子校であり、東京や大阪など大都市から来る生徒の数も多く、2つの学校寮はほとんど満杯でした。その状況のせいか、生徒指導部はかなり忙しかった気がします!この時代、特に思い出すのは生徒ではなく、一緒に働いていた3人のイギリス人です。Tom Gill, Jonathan BirtそしてAndrew Hartleyはそれぞれ2年契約で駿台に勤めていました。古いOBたちはよく覚えているでしょう。3人とも賢くて、ユーモアのセンスがあり、面白い人たちでした。そのうち2人は今、大学の教授であるそうです。
 昭和63年に私は正教員になり、しばらくしてから3年生に英作文に教え始め、今もその仕事は続いています。そのころの非常に大きな変化は、駿台が男女共学の高校になったということです。最初、女子クラスは1つで、教員は全員この女子たちに気を遣い、まるでお雛さまのように扱いました。女子は西館に専用の階があって、男子生徒は絶対にその階に上ってはいけないという規則がありました。今から考えると、その特別扱いは何だったのかと不思議な感じがします。
 私は最近まで担任の経験はなかったので、正直言うと、昔の生徒一人一人はあまり記憶に残っていません。他の教員の話の中に時々、「4期生の○○君はまじめな生徒だったね。今はこういう仕事しています」のような発言があります。これは二十数年前の話でしょう!私は、新しい学年を教え始めるとすぐに前の年の生徒の名前を忘れてしまいますよ!
 しかし、言えるのは、今の生徒は昔の生徒と比べたら、本当におとなしい。問題をめったに起こさないので生徒指導部は暇で困る。(笑)
 最後に、私がずっと駿台甲府にいるのは、駿台が大好きだからです。最初からこの学校は山梨県でもっとも良い学校だと思っており、その気持ちは全然変わっていません。卒業生のみなさん、駿台甲府を卒業したことを誇りに持ってください。そして、チャンスがあれば私に会に来てください。名前を覚えていなくても、顔は絶対忘れていないから。

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