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佐藤 八郎先生 登場!!

職員番号05805の思い出

佐藤 八郎

 昭和58年4月に赴任した。南館(現在の東館)と体育館は工事中、始業式は本館の講堂、入学式はアピオだった。豪華な入学式だなと思ったが、体育館の完成で翌年からは体育館での入学式であった。その昭和59年4月10日に入学した5期生英語コース・1年F組が、本校で最初に担任したクラスであり、思い出深い。当時は寮生がクラスの半分を占めていた。生徒はむさ苦しい男ばかり、制服は濃紺の詰め襟の学生服であった。

 思い出に残る出来事の多くは、トラブルの件である。トラブルについての話しになれば、固有名詞を挙げるわけにはいかない。寮生に関わるトラブルも多く、今となっては良い思い出だ、などと言うつもりはない。大変な迷惑を蒙ったことは紛れもない。

 当時は、深夜に、自分のものではないバイクを無免許で乗り回すという問題行動はかなり多かった。なぜか生徒指導の係でも、担任でもない生徒の件で、深夜、警察から電話があり、生徒を引き取りにいったことを覚えている。その生徒が私の名前を警官に告げたようなのである。なんで?

 最近の生徒はバイクや車に対する関心はとても低い。当然前述のような問題行動はほとんどない。
駿高祭も思い出に残っている。2日間の実施は同じだが、1日目からクラス企画はあった。我が1年F組は西館の特別教室で「ディスコ」を企画した。駿高で最初だったと思う。(たぶん。記憶力はない方なので間違いの可能性はあるが。)教室を真っ暗にしてミラーボールを吊し、ガンガン音楽をかけるというちょっと不健康な感じのものだった。だからこそ魅力的だとも言えるが…。何年かしてディスコは禁止された。

 悪い生徒の集まりのクラスと勘違いされそうな内容になったが、善行で新聞に載った生徒だっている。T君が、西沢渓谷でおぼれそうになった女性を救い、記事になったのである。本人は「勘違い?だった」と言っていたが、素晴らしい行為であることに違いはない。

 一概には言えないものの、その頃の生徒は問題も多かったが、バイタリティ・行動力に富んでいたように思える。卒業生諸君には、そういう力を生かして今後も活躍して欲しい。

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