15年前~現在~そして、15年後
2011年10月18日
駿台甲府小学校教諭 中沢 恭子(16期生)
<高校時代> 私が「駿台甲府高校」という高等学校を知ったのは、恥ずかしながら、中学3年生になってからだ。湯村に住んでいながら、その名前を聞いたことがなかったのである。しかも、その所在地を知ったのは、「駿台リンデンスクール」の模試を受けた時。今思えば、よくそんな私が、駿台甲府高校に合格し、通うことができたものだ。
ところで、高校生時代の私は、正直、勉強することが苦手であった。小学校・中学校とそれまでは3~20位には入っていたが、高校は「自分で学ぶ」ところである。結果、得意な教科はどんどん自分で学習できたが、苦手な教科はなかなかできず、両者の差が広がっていった。
【挫折】という言葉を知った高校時代であった。
<現在>
そんな【挫折】経験のある私は、現在、駿台甲府小学校で幸運にも「教師」という仕事をしている。
どのようにして、ここまで辿り着いたのか?
実は、小学校のときから教師になるという夢を私は持っていた。そこで、都留文科大学に進学した私は、往復の電車、学校、家でずっと勉強し、 1年間に取ることのできる単位の数は決まっているのだが、単位にならなくてもよいからと教授たちに頼み込み、可能な限りの講義を受けた。(心のどこかに駿台の「チャレンジング・スピリット」が根づいていたのかもしれない。)
つまり、怠けた分の巻き返しを図ったのだ。(もちろん、苦手であった運動も…筋トレを毎日、自分に課して行った。)
「【挫折】した人間は強い」とよく言われる。私も、その証人となる1人となったわけである。
なりたくてなった「教師」という仕事。まだまだ至らないところもあるが、大切にしたいと思う。
<15年後>
さて、15年後の私は、どのようになっているであろうか?
少し考えてみた。希望としては、「教師」としてもそうであるが、1人の人間としても成長することに貪欲でいたいと思う。
<結びに>
駿台甲府小学校に勤めるようになり、10年目を迎えた。高校時代の3年間を加えるとこの「駿台甲府学園」に13年間もお世話になっていることになる。
高校時代のことを振り返ると今では良い思い出だ。また、あの【挫折】がなかったら、今の私はないと思う。
駿台甲府という組織は、頑張る人には惜しみない協力をしてくれる組織であると思う。
これからも、駿台甲府というグループの一員として、日々邁進していきたい。