駿台甲府高等学校同窓生医師による医療情報 ドクターリレー Vol.2
2012年1月31日
海部 勉(3期 山梨市立牧丘病院勤務)
10年以上前の話だが、新潟で年配の外科の先生が、そば打ちに興じられていた。そばが好きで、後輩に仕事を譲る事で自由な時間ができ、余暇を楽しまれていた。医者は足りなかったが、今ほど世間で問題にもならず、苦労もあたりまえの時代だった。
その頃は開腹手術をさせてもらえる様になったばかりで、毎日が新鮮だった。その頃、胃癌の根治術に2群リンパ節までの郭清をする胃幽門側切除があるが、その手術にはlearning curveがあり、凡そ20例でplateauになるのだと文献で読んだ(Br J Surg.1996 Nov;83(11):1595-9.)。20例手術してもうまくならない医師はそれまで、と限界を示していた。
いくつもの手術書を読み、実践は紙の上の事と異なる指導医の手ほどきを受け、手術の度に問題点を挙げ、改善できるように考えた。手術は3回できるんだよ、とある先生から教わった。手術前に頭の中で1回、実際にして2回目、手術記録を書くことで3回。駿台模試の復習みたいだが実際役に立ったのは言うまでもない。
手術記録も絵が得意であったからか、スケッチブックに細かい書き込みをしながらたくさん書いた。この場合は、ここでは、と何人もの先生から様々な手技を伝授され、それなりの技術が20例までに取得できたと思う。手術記事は自分の教科書になっていた。出血点を探そうと、まるで術野に顔を埋めんがごとく覗き込み、前立ちの先生に頭突きをし、姿勢よく手術せよと嗜められた。
今では出血点も落ち着いて止血でき、姿勢もよくなった。でも技術の上達だけが姿勢を良くしたのではないのでは、と考えるようになった。老眼だ。覗き込んでもよく見えないので姿勢が良くなったのではとも考えている。そんな年になったかとため息も混じるが、そばを打つ時間が取れないのは、まだ働きが足りないのだということか。