駿台甲府高等学校同窓生医師による医療情報・ドクターリレー Vol.54
2020年12月1日
小澤 幸子(11期 山梨市立牧丘病院内科医)
ドクターリレーのVol.54を担当します、11期生の小澤幸子と申します。
私は駿台甲府高校女子の1期生。中学3年の夏休みに駿台が女子生徒を募集すると聞いて、猛勉強してA組46人の女子1期生となったわけですが、高校入学当時から数学や物理は苦手な典型的な文系の生徒でした。当時はやりたいことが見つからず、担任だった平岡真人先生の「何がやりたいか決まっていない人は、とりあえず社会学がおすすめ」との言葉を真に受けて、東京の私立大学の文学部社会学科に進学しました。
その文学部時代、私はたまたま縁あって出会ったハイチという国の貧困と向き合うことになりました。どうにかしてこの国の苦境を世に知らしめて、貧しい人たちの暮らしを少しでもマシにするためにどうにかしたい。私は就職せず医学部を再受験することにしました。ハイチで医療は足りていなかったし、対人援助は自分の性に合ってると思いました。医者なら自分の食い扶持は稼げるだろうし、何者でもない私の話は聞いてもらえなくても、医師であれば人に私の話を聞いてもらえるのではというちょっぴり打算的な考えもあったのです。
それなりに努力もしたけれど、かなり運が良くて私は医学生になり、そして医師になりました。ハイチ支援も継続していますが、今でもBio-Medicalな事柄よりも、Psycho‐Socialな問題解決のほうが自分は得意で向いていると感じています。それはひそかな劣等感でもありましたが、フィールドとしている山梨の地域医療・在宅緩和ケアの分野では、そんな自分の働きが喜ばれることもあり、一人くらいこんな医者がいてもいいじゃないかと最近やっと自分を認めることができるようになりました。
山梨市立牧丘病院には2009年に赴任し、12回目の秋を迎えていますが、車を走らせていますと、あのうちのおばあさんを看取ったな、このうちのおじいさんもだなとか、そんな思い出ばかりになってきました。家族背景まで頭に入っている患者さんも数えきれないほど担当させていただいています。今年は新型コロナウイルス感染症対策で、田舎の小さな病院でもてんてこ舞いですが、地域の病院として、市民生活の感染予防対策にも助言するなどやりがいと責任のある仕事も任されています。
一つ職場自慢をさせていただくと、当院では普通の病院なら公平性や危機管理を理由にあきらめざるを得ないようなことでも、患者さんの喜びや幸せのためならば乗り越えようとすることがすでに「文化」になっています。一人一人違う命の物語に寄り添って、その人の幸せのためにベストを尽くそうとする仲間と医療ができることを私は心から誇りに思い、これからもいい仕事ができるように精進したいと思います。そしてそんな命の物語を次世代に伝えていけたらと願っています。