駿台甲府高等学校同窓生医師による医療情報・ドクターリレー Vol.62
2022年6月2日
一瀬 佑太(21期 甲斐リハビリテーションクリニック副院長)
Vol.62を担当致します,21期生の一瀬佑太です。
私は脳神経内科医で、現在、山梨県内の複数の病院で診療をしております。折角なので、私は医学ではなく高校時代の話を。
私は旧増穂町出身で、高校から駿台に通いました。昔から音楽や格闘技が好きなのですが、駿高には軽音部もボクシング部もなかったので、中学時代と同じ陸上部に入りました。日々ヘトヘトになり、帰りの身延線では何度も寝過ごしました。そのうち100mが10秒台に入り、仲間にも恵まれ、高校2&3年は4×100mリレーでインターハイに出場しました。高3時は全国ランキング10位で、インターハイ入賞を目指しましたが、大会前に右大腿直筋が断裂。激痛の中走った結果は無念の準決勝敗退でした。
三枝幸雄先生の指導による陸上部の練習は、本当に質の高い内容でした。3年後には後輩が4×100mリレー全国準優勝。22期生で私と同郷の佐野夢加さんは、後に女子4×100mリレー日本代表としてロンドン五輪に出場しました。駿高陸上部での3年間は、私の身体と魂を研ぎ澄まし成長させてくれました。本当にかけがえのない3年間です。高校で習った古文表現を用いれば、かの時の情熱を忘れしためしやあらむ。いや、なし。
国社が苦手で英数が得意だった私は、センター試験で英数ともに自己最低点を叩き出し、翌年八王子で浪人生活。都会の学生生活に憧れつつも医師になる為にはもはや全国何処でも構わぬ、という覚悟のもと、東京ドームまで行ったのに受験前だからとパンフレットだけ買って帰った2003年12月6日のK-1 WGP決勝戦。もしアーネスト・ホーストが出場していたならiモードの月額300円の公式サイトでチケット先行予約して迷わず観戦してたろうけれど、ホーストがアトピーの悪化で欠場したことで私は自分を律し得、臨んだが翌月センター試験。合格率判定サイトで最高率と出た大学の二次試験を受けるべしとセンター自己採点点数を入力し押したエンターキーが導いたのは山梨大学医学部医学科。かくして私は今も山梨に居り、未だ不治の病を患う人たちの心の拠り所でありたい、患者さんの言うところの良き医師でありたいと思いながら、日々診療をしております。
20余年前の個人的な思い出話に、最後までお目通しいただきありがとうございました。
経歴
2002年夏 右大腿直筋断裂
2003年3月 駿台甲府高等学校卒業
2003年7月 5日 魔裟斗 K-1 WORLD MAX 2003優勝
2003年10月10日 アーネスト・ホースト アトピー悪化によりK-1 WGP決勝欠場を発表
2003年11月 9日 ヴァンダレイ・シウバ PRIDE GP 2003優勝
2003年12月 6日 レミー・ボンヤスキー K-1 WGP 2003優勝
2010年3月 山梨大学医学部医学科卒業
2010年4月 山梨大学医学部附属病院 臨床研修医
2012年4月 山梨大学医学部神経内科入局
2017年3月 医学博士取得(遺伝性パーキンソン病の臨床分子遺伝学的研究)
2021年3月 甲斐リハビリテーションクリニック副院長
他,非常勤医師として山梨県内の神経内科診療に従事している