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原 正人先生 登場!!

「最後の男子校」10期生

原 正人

 私にとって最も思い出深いのは、昭和から平成に変わった1989年4月に出会い、初めて担任を受け持った“最後の男子学年”10期生と過ごした3年間です。北海道、岩手から福岡や沖縄、それに海外からの帰国生と、日本と世界の各地から甲府に集結した総勢120名を越す寮生たちが、残りの約180名の県内生と共存し、互いに切磋琢磨し合った時代でした。3年次は、今はなきあの「北館」に、文系クラス40名、理系クラスは最大46名(しかも男子だけ!)がすし詰め状態で生活していたことを思うと、よくもあの過酷な(?)環境の中で、受験勉強に耐えてくれたなと、今も熱いものがこみ上げてきます。

 さて、卒業とともに“男子校時代の終焉”という駿高の歴史に1つのエポックを刻んだ10期生には、1つの遺産があります。学年主任の松橋薫先生のご発案で編まれた、卒業文集『七色の残影』の巻末「10生の歴史年表」です。同年表から、10期生の足跡の一部を紹介します。

【1989年度(1年)】
◆4/5 入学式 県内生と関西方面寮生の多くには、まだ“イガグリ 頭”君も目立つ。代表の上級生達が、校歌をまともに歌えないのにビックリ。その反省 から、一年後の「校歌隊」結成となる。
◆7/17 体育祭 陸上競技が突如の雨で中 止。あたかも、水泳大会の様相を呈する(注:当時の体育祭は本校グランドで実施)。

【1990年度(2年)】
◆4/9 対面式 新入生側の最前列にズラリ勢揃いした女子1期生。 みんなの視線は右から左、左から右へと忙しい。列の後ろの者は、背伸び、跳びはね、 おんぶと、もう必死。
◆6/19~23 北海道修学旅行 ・・・ それにしても、朝4時  出発で、初日から北海道の東端・知床まで行くという強行日程、羽田から飛行機3機に 分乗し、3つの飛行場(注:釧路・帯広・女満別)に降り立つという“離れ業”はチャ レンジング・スピリット以外の何物でもない。

【1991年度(3年)】
◆9/28~29 第11回駿高祭(テーマ「一即触発!」)3年目に して始めて晴天に恵まれ、期間も1日半に延び、大喜びの3年生。1カ月近くも前から 準備を始めた大仕掛けで本格的な企画―F組・野上君を中心とするSWAの興行、「薔 薇貴族」VS「パックス・ロマーナ」の二大ディスコ対決などは、駿高祭史上に残る、空前の盛り上がりを見せた。
◆3/3 卒業式 県下唯一の男子学年、否、男子校の消滅。“最後の駿高生”である僕たちの青春はここにあった。さらば、駿台甲府高校!さらば、7クラスの10期生。

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