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6期生が東日本大震災の医療支援活動を行いました

 駿台甲府高等学校普通科同窓会の皆様、こんにちは。6期卒業の市川万邦と申します。

 私は駿台甲府高等学校を卒業後自治医科大学に進学し医師となり、現在は山梨県南部町の南部町医療センターで所長として勤務しております。専門科は、内科・小児科です。

 さて、皆さんも御存じの通り平成23年3月11日に東日本大震災が起こり、甚大なる被害が報告されております。この場を借りてこの度の東日本大震災に際して被災された方々にお見舞い申し上げます。

  私もこの震災に心を痛めており、縁があり自治医科大学医学部同窓会、東日本大震災支援プロジェクトとして宮城県南三陸町、登米(とめ)市地区で4月3日から9日まで、気仙沼・巡回療養支援隊として宮城県気仙沼市地区で4月30日に医療支援活動を行いました。

  南三陸町は宮城県の北東部、本吉郡の南端に位置し、人口約1万8000人の町です。この大震災では海岸沿いの地区の7割以上が津波で流され、その中にはすべての医療機関も含まれていました。テレビなどで被害の状況はよく目にするのですが、直接、目の当たりで、一面瓦礫しかない現場を見ると言葉が出なかったです。医療支援活動は4月3日から6日までは登米市にある米谷(まいや)病院の外来診療業務、4月6日から9日までは南三陸町の最も大きな避難所であるベイサイドアリーナで医療統括本部の活動を行いました。米谷病院は南三陸町から最も近くにある病院で、米谷病院での私の仕事は南三陸町の医療機関に通っていた方でかかりつけ医療機関がなくなった方の新患外来診察を担当しました。米谷病院は海岸沿いではないため津波の影響はありませんでしたが、地震の揺れの影響でエレベーターが壊れたり、ボイラーが壊れたりしていました。暖房が使えず、待合室では多くの毛布が置いてあり、それで暖をとりながらの診察でした。診察時に被災された方の話を聞くとこの震災の怖さを実感しました。ベイサイドアリーナの医療統括本部での活動はその時点で南三陸町に50か所あった避難所に国境なき医師団やHuMA、TMAT、山梨大学を含めた国立大学チームといった約20の医療団体の配置や統括、地域内で起きている感染症の把握や対策、必要物資の調達、マスコミへの対応などの活動を行いました。そこには自衛隊も常駐しており、夜には自衛隊風呂に入らせていただきました。滞在中に大きな余震があり、とても怖かったです。

  気仙沼市は、宮城県の北東端に位置し、人口約7万3000人の市です。この地区でも海岸沿いは津波で広範な被害を受けました。そこでの活動は、巡回療養支援隊に属し、医療機関で受診できない在宅療養中の方の往診を担当しました。私は、グループホームで生活されている方の発熱や食欲低下の方に、私と同じようにボランティアで来られていた栄養士さんとともに往診しました。

  今回の震災は非常に甚大でまだまだ先が見えないのが現状だと思います。私の行った医療支援活動はほんの小さなことですが、今後も微力ながら支援活動にたずさわらせていただきたいと考えております。

震災・津波の被害の凄さを感じます。
前列の中央(青い服)が6期生市川さん。

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