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駿台甲府高校卒業生企業訪問 Vol.5 「ヒサゴ株式会社」代表取締役社長 8期生 山尾 裕一さん

 今回は同窓会ホームページでスポンサーをしていただいております「ヒサゴ株式会社」代表取締役社長 山尾裕一さん(8期生)のところに伺いました。
寺井同窓会長が対談をさせて頂きました。

プロフィール
山尾 裕一
生年月日:1971年12月15日
東京理科大学理工学部卒
主な経歴
1996年4月 ヒサゴ㈱ 入社
1999年6月 ヒサゴ㈱ 取締役副社長就任
2000年11月 ヒサゴレーベル㈱ 設立 代表取締役社長就任
      (2007年11月 ヒサゴレーベル株式会社から株式会社 KALBASに社名変更)
2006年7月 ヒサゴ㈱ 代表取締役社長就任
2008年2月 KALBAS LIMITED (香港)設立 CEO就任
以降、KANAYA  RESORTS はじめ各グループ会社の代表取締役就任

寺井 本日はお忙しい中、ありがとうございます。早速ですが、今、運営されている事業などについてお聞かせ願えますか?
山尾 最初に会社の説明をさせていただきますと、
駿台甲府高校同窓会の(ホームページの)スポンサーはヒサゴ㈱と㈱KALBASの2社でさせていただいていますが、この2社以外に名刺の裏面のとおり、グループ会社として数社あります。
私の祖父が封筒店として創業し、その後に帳票メーカーとなったヒサゴ㈱が元となり、今までの伝票と紙だけではなく、広く色々な素材の開発、生産から、物流までを総合的に行う会社として、2000年に㈱KALBASという会社を立ち上げ、現在は日本、香港、ベトナムに拠点があります。
ヒサゴ㈱で、帳票メーカーとして紙製品を製造、販売していく中で、時代の流れを考えると、紙製品だけで事業を続けていく事は難しいのでは?と思い、会社の体制を思い切って変えていき、拠点を日本だけでなく香港やベトナムへと海外に広げました。
寺井 なぜ香港なのですか?
山尾 香港の経済環境に規制が少ない点ですね。例えば、税率も低い面から 日本と同じ事業を展開しても設備投資等にかけられるパワーが違ってきます。とはいえ、それまでに実は何度か海外にトライしていたのですが、最初の段階を人に任せていると、決済や判断をスピーディーにしなくてはいけない面が多々あったりと、上手くいかなかったので、2008年に最初は、私一人だけで、オフィスに窓もなく、2.7m×3mぐらいの小さな部屋に、テーブル一つからスタートさせました。
寺井 かなり苦労されたのですね。
山尾 日本では長年事業を続けてきたので、製紙メーカーや代理店からすぐに商品を仕入れる事ができましたが、海外に一歩出れば、全く信用ゼロの会社なので、最初の半年間は、商品を売ってももらえませんでした。現在はお陰様で、紙の仕入れルートもでき、紙以外のフィルム、ガラス素材や、セラミック等、様々な素材や商品を仕入る事ができるようになり、ベトナムの工場も最新設備にして、生産ラインも安定稼働できています。
寺井 今後の展開はどうなりますか?
山尾 私は、早くリタイアしたいです。(笑)
寺井 そこのビジョンっておありですか?
山尾 そうですね。子供も含め海外で生活しているので、日本とは違い、まとめて休暇を取るスタイルに変わった事もあってか、時間の使い方を考えると、早くリタイアして、仕事以外の時間を増やしていきたいなぁと(笑)
寺井 そういう会社がまわっていくシステムを作るのが凄いですね。
山尾 経営はおおまかな方針と、やっていいことと、悪いことを理解してもらい、多少失敗しても基本的に何も言わない事にしています。グループ会社各社には責任者がいますので、私は月に1回の会議に出席するのみで、日常の運営には一切触れず、各社の責任者に任せています。
実際の運営に、私が口を出してしまうと常時いなくてはならない状態になるのと、社員には、仕事に対して自由度が高く、伸び伸び働いて欲しいと思っているので。
寺井 勉強になります。僕らはなんでも首突っ込んでそれであたかも仕事したフリをしていますけど、そうじゃないですからね(笑)
山尾 伸び伸び働いていただくために、逆に細かく会社の規約を作ってあります。我社の8割は女性社員という事もあって、例えば産休、育休後も安心して会社に戻ってきていただけるように色々細かく定めています。3人のお子さんの、産休、育休とりながら、復帰してくれる方がいたり、長く働いてくれている方がほとんどで、産休、育休取得率は非常に高く、離職率は低い会社です。
寺井 社員を大事にしているのですね。
山尾 そうですね。安心して働いてもらえる職場環境が無いと、自由で伸び伸びと働いてもらえないので。こうしたグループ会社全体の環境面も含めた総務人事、財務経理を最初にご覧にただいた名刺の中のヒサゴオフィスサービス(株)が運営管理しています。
山尾 また、KANAYA RESORTSは、義弟が社長を務める金谷ホテル観光グループの事業拡張に向けて、立ち上げた会社で、栃木県に鬼怒川金谷ホテル、鬼怒川温泉ホテルの2軒と、今年に入り、伊豆高原に THE KEY HIGHLAND IZU がオープンしました。
今後は、北海道と箱根にホテルのオープンを予定しています。『JOHN KANAYA(ジョンカナヤ)』は、ショコラトリーで、大人の方に楽しんでいただける少し贅沢なチョコレートを販売しています。
寺井 なぜチョコレートなのですか?
山尾 長年、栃木県でホテル事業をさせていただく中で出来たご縁で、製菓を製造販売されている会社様と新しい企画を考えていく中、チョコレート好きだった義弟の祖父の精神を継いで、開いたのがショコラトリーJOHN KANAYAです。
寺井 ゴディバみたいな感じですか?
山尾 海外ブランドと少し違って、JOHN KANAYAは和モダンをテーマしているので、他にはあまりない山椒や大葉の、和のテイストの商品があったり、デザートにはもちろん、お酒とも一緒に楽しんいただけるチョコレートです。
寺井 話は変わりますが、駿台甲府からのお土産と言ったら語弊がありますが、昨年開催した駿台甲府高校35周年記念同窓会の時に作った記念誌です。
高校時代の思い出なんかお聞かせ願いますか。
山尾 私は高校時代に、実家を出て寮生活をしたこともあるせいか、特に思い出深くて、河合(博一)先生、内山(晶夫)先生はじめ、色々な方に助けられました。
寺井 内山先生は今も現役で頑張っておられますよ。
山尾 物理の内山先生には、特にお世話になりました。私が進学した大学が東京理科大学なのは、内山先生に勧められて決めたこともあり、何より、正直、先生がいらしたから 無事、高校を卒業できたようなものなので...。
寺井 甲府は卒業以来行きましたか?
山尾 社会人になったばかりの頃に、一度伺いました。寮に行き、佐野さん(当時の寮長)にお会いして、私がいた頃と違って「今の寮生はすごく良い子ばっかりで、朝礼も自分たちで集まってきてくれて、ちゃんと点呼とれるんだよ」って、言われてしまいました。
寺井 現在の駿台甲府には、寮はなくなってしまいました。一般学生向けの寮で暮らす寮生はいますが、昔ほど県外からの生徒は多くいません。
山尾 なるほど、私達の時は半分が県外からの生徒でしたよね。
寺井 えぇ、それに今では女生徒もいます。
山尾 私が卒業した翌年から共学になるとは聞きました。卒業後に女生徒が学校にいるなんて酷いなって思いました(笑)。私が在校当時は、自由な校風で、服装にしても上着は私服で通学していましたが、今は共学ですし、随分変わったんでしょうか?
寺井 そうですね。違いますね。
山尾 (記念誌を見ながら)
私がお世話なった先生方も、まだ沢山いらっしゃいますね
寺井 そうですね。皆さん頑張っています。
同窓生に何かメリットがあるとか、そういうことを
山尾 グループ各社サービス内容が違いますので 逆にリクエストをいただいて、それに合った何か当グループで、できる事があれば、すぐにご協力させていただきます。
寺井 5年に一回、同窓会をやっているのでそのときは来てください。
山尾 そうですね。駿台甲府には是非とも国際社会に向けて活動していってもらいたいですね。
寺井 その辺、何かあれば
山尾 国際社会に出るために必要な、英語とか中国語。
特に、読み書きができる事より、「話す」事に重点をおいた英語を教育できるシステムが必要だと私は思います。国際社会に出る人は、海外で実際に使える「通じる英語」ができないと厳しいと思います。日本の英語教育は、まず、文法が先になり英訳してしまうので。私には子どもが3人います。長男9歳、次男7歳、長女は生後半年くらいまで日本いて香港に住むまで、長男、次男はインターナショナルスクール行きましたが
その子供たちの英語は、読み書きよりも まず話すことが先でした。
読み書きは後からでも、話す事でコミュニケーションが取れば、先に進めて自分の動ける守備範囲がドンドン広がっていきます。
寺井 駿台生にも、ただ英語が必要だというより、今、話してくださったような実体験が届くようにしてもらいたいです
山尾 皆さん、チャンスがあれば若いうちに、日本以外の国を見て欲しいですね。
寺井 そういうことを生で生徒に話していただけたら。
山尾 是非。機会があれば。
実際、本当に海外に出て行っている人たちに日本人は少ないのですが、その人達に会うと活き活きと頑張っているなぁと思います。それに、日本を離れて、外から日本を見ると今まで気がつかなかった日本の良さもよくわかったりしますよ。
寺井 本日はお忙しい中、ありがとうございました。

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